本谷有希子『自分を好きになる方法』:自意識との決着はついたとも言えなくもない

自分を好きになる方法

自分を好きになる方法

  自意識はつまり自分がどう見られていることかという意識で、これが気になって仕方がないのが自意識過剰だ。自意識過剰の状態になってしまうとその場その場でどう「自然に」振る舞っていいか分からなくなりさらに自意識を強めるという蟻の巣地獄に陥ってしまう。その結果、敗北感だけが残ってしまう。

 これまでの本谷有希子の小説は自意識の疾走(暴走)を、女主人公の思考から語ってきた。主人公の自意識は女であったり、上京してきたことであったり色んなことに向けられていたわけだけど、どうしても女主人公=本谷有希子で読んでしまうし、経歴やインタビュー、その他テキストを読むとそれはだいたいあってるんじゃないかと思う。本谷有希子がどうしてこういった作品を書くようになったのかはわからないけど(他に書くことがなかったんだろう)、でも残念ながら人が自意識をこじらせていく様は共感する人以上に他の人から見て面白かった。それに気づいた本谷有希子は一度思考停止し、自分を自意識を切り売りすることで少しの安堵を得る、というのが前前作の『ぬるい毒』の結末だった。

 だからといって自意識を切り売りし続ければ売り切れてしまうかといえば問題はそう簡単ではなく、『自分を好きになる方法』ではその矛先は生活のより小さな、些細な出来事に向けられている。初老になった主人公は人前で自意識を持て余すさまを見せつけてはいないが自分の自意識を認めることでその過剰さを少しでも減らそうとする。また体力が落ちていくことで自意識を持ち続けることも難しくなってきている。しかしそれでも分かり合いたいと思ってしまう人との出会いは自意識が再起動してしまう。物語の最後には一見穏やかな生活が描かれているが、その裏に他の選択肢をとることのできない生活に満足しようとしている主人公の絶望というか諦念が広がっている(と思う。)生活に満足することは決して悪いことではないが、勝つことのない自意識との戦いに疲れて何も残らなかったという敗北感しか感じられないのだ。

 やっぱり自意識からは逃れられないのだろうか。でも切り売りするでもない方法があるんじゃないだろうか。すくなくとも24,34の頃の主人公の自意識はむしろ健全に、愛おしく見れた。