『ザ・マスター』を観て。

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予告編を見た時にうっすら気にはなっていて、一昨日気分が最大級に落ち込んだ時TSUTAYAに借りに行った。 (予告編には本編に登場しないカットがいくつかある、どれもいい画だと思うのに残念) そのローな気分自体はTSUTAYAの可愛い店員さんと話したことで解消してしまって、家に変える頃にはそこまでいなければという気持ちではなくなったけど。

が、見るとサイコーに良くて一気に2回観た。 なにがそんなに今のじぶんにひっかかるか。 自分にとってのこの映画のテーマはなんだろうかと考えた。 それは絶対的な正しさだけが人を救うのではないということだ。

映画の最後、イギリスの女とセックスしながら”コーズメソッド”を試したり笑い合ったりした後、砂の女の隣に横たわったクエルの穏やかさ(じぶんはクエルのカオにそこまではっきりとみてとれなかったけど前のシーンから穏やさは感じられた)からは、この男の魂が救われたと思える。

どうしてクエルが救われたか。面白いのはクエルが最終的に行き着いたこの世界に対する考え方を示すことなく、言い換えれば”コーズ・メソッド”よりも「科学的」で「正しい」価値観を手に入れることが出来たからではないということで。少なくともクエルが救われるには宗教や「正しさ」は必要なかったわけだ。「正しさ」の代わりにクエルを救ったのは、ランカスター・ドットとの出会いと別れであったし、同性愛も親子とも親友とも師弟、そのどれとも引けをとらないような関係で一緒に時間を過ごしたことであったし、思い続けていた女の子に会いに行って、今どうなっているかを知ることだった。

なんというか、、、その、、、思想とか価値観とか宗教と言ってもいいのだけど、考え方が変わる以外のことで人が救われているところをほんとに見れた気がして、泣いてはないけど感動した。なんかまだ言い切れてないけど。

人を救ってくれるのはいつも「正しさ」というかある考え方ではないということだ。 これは人が救われれば、何でも良いと言ってるわけでもない。 何に救われるのかわからない。可愛いTSUTAYAの店員さんとのたまたまの出会いかも。

ちなみに、町山智浩の映画塾が『ザ・マスター』を扱っていて、町山さんお得意の情報量の多さで、シーンの繋がりの悪さ、説明の少なさからわかりくいこの映画を説明しているのだけど、監督はP・T・アンダーソンは天才的な監督らしく、皮肉を込めて町山は演出が天才的すぎてすごいことがテーマであるように見えてしまうことがこの映画を分かりにくくしている原因だと指摘する。確かにストーリー上そこまで時間を割くか?とう場面がめちゃくちゃかっこよかったりする。この監督は家族がテーマであることが多く、特に父親と監督自身が投影されたキャラクターが出てくるらしい。個人的には「救いと出会いの関係」、これは十分に大きなテーマたり得ていると思っている。まあ規模は小さいか。

町山智浩の映画塾!「ザ・マスター」<予習編> 【WOWOW】#125 - YouTube

町山智浩の映画塾!「ザ・マスター」<復習編> 【WOWOW】#125 - YouTube

あ、あと作品内時代が重なりそうだけどサリンジャーの世界観と似ているんじゃないかなと思ったりした。冒頭シーンの海の白く輝く浜辺と海の感じは『バナナフィッシュにうってつけの日』にピッタリだと思う。